さて「国民は主権的なものとして想像される」。この有名な言葉はなぜ近代に人々が「国家」というものに対して進んで命を捧げたのか、という現象に対する著者の仮説であります。アンダーソンの議論によると、近代の国家という政治システムは「上」から与えられるものでなく、「下」から生み出したように人々が「国民」という「主役」になれるような操作のもとに誕生したものなのです。
つまり旧エリート層!らの権力移行に伴って、新興エリート層は民衆化という「公定ナショナリズム」を生み出し、大衆操作を行う必要があったわけです。それはナショナリズム運動の中で民衆を一つに包括するという目的で民族主義・人種主義といった概念や教義を生みだし、それらを文学や「無名の戦士の墓」などの文化の中に組み、国家への愛国主義へと育んでいったわけです。この意味で民衆は新興エリートに翻弄・操作される対象でしかないわけです。
ここにアンダーソンの近・現代史が生み出した民衆による殺戮の歴史の答えがあるように思えます。『想像の共同体』は日本の民主主義、教科書、愛国主義などを考える洞察力や議論の力として極めて良書となることは言うまでもありません。