ある日、哲は煙草の万引きで捕まる。(店員に捕まるという)自分の失態への憤懣から店員を殴り、豚箱に入れられてしまう。刑務所をでてから独房で出会った大学生の若者と競艇に行く。哲は若者を「ひよっこ」と呼ぶ。ひよっこは自分の運の強さを信じて強気で攻め、勝ち続ける。二人は麻雀でも勝負をする。哲はひよっこから「師匠」と呼ばれながら負けてしまう。この若者によって哲は久々に博徒として目が覚める。
ひよっこは博打を人生の一部としてやる。本職は別にある。例え一時博打しかしなくとも、必要とあれば他の仕事をして暮らしていくことが出来る。 一方、哲は博打が人生であり、他に選択肢はない。
哲は時代の変化を感じながらも、このスタイルを守っている。博打を打ちながらも恋人やその両親を抱えるひよっこと、孤独な哲の生き方は時代変化の顕著な例だ。ひよっこを相棒にして哲は、再び博打の世界に復活する。哲は行く先々の賭場でひよっこに自分の博打哲学を語る。他人に博打のノウハウを教える自分に老いを感じながらも、哲のツキは上がっていく。この博打についての経験や法則からは人生に対する鋭い視点を感じる。一面では説教だが、身を切って学んだ事実のすごみがある。
それにしても、格好悪い坊や哲は、ユーモラスだけどあまり見たくないな。
もういい歳になった「私」と、その弟子(みたいなの)のやりとりが見所。
阿佐田氏自身、五味康祐氏の「喪神」を読んで強い印象を受けた、とどこかで書いていたが、
まるでその五味氏の「喪神」をどこか臭わせる師弟関係が描かれている。