おおげさな出来事が起こるわけではありません。それでいて、ひたひたと、心の中に沁み込んでくる、この静かな感動は、どう言い表したらよいのでしょう。柴田さんの翻訳も、ご自身が最も好きな本とおっしゃっている通り、原作を慈しむような、ていねいな、まさに、名訳としか言いようのない仕上がりで、その神技に驚嘆させられます。 この20年間で、最も感動した短編集です。
原作とこの柴田さんの訳本の二冊、本箱の一番大切な場所に、そっと、いつまでも置いておきたい感じがします。とても5つ星では足りません。
「あなたが小さかったころ、夜になると時どき、あなたがわあわあ泣いているのが聞こえたわ。たぶん、私には聞こえた声が、あなたのママには聞こえなかったのね。音が上に伝わってきたのよ」
「僕の泣き声で起きちゃったの?」
「それは心配いらないわ。私、もともとすごく眠りが浅いの。雪が降っても目がさめちゃうから」(p.16)
少年の住む階には、元ポーランドの将校という叔父が尾羽散らしてまいこんでくる。凍傷となった足を暖めるために、足湯にポトンと発砲する薬剤を入れて休む叔父。上の階から聞こえてくるのはショパン。その曲が何かを少年は、その叔父から教えてもらう。
やがて妊娠した娘は、ひとりで家を出て子供を生む。叔父も放浪の旅に出そうだ。そして、最後になって、誰が泣いていたがわかる。そして沈黙に耳を澄ます。
こんな淡々とした話が続く短編集だが、柴田元幸さんが後書きで「いままで訳した本のなかでいちばん好きな本を選ぶとしたら、この『シカゴ育ち』だと思う」と書くのはわかるような気がする。