善性とは何か、倫理とは何か、という対話をしながら、この二人は答えを出さない。というか出せない。というか答えを出せないことを楽しんでいる。答えが出ないことが重要だと感じさせる。
信者のあたまから、俗世の人間のあたまから、正しい善や悪の判断を導き出せると思ってしまうことは実は宗教にとっても社会にとっても危険なことである。はず。キリスト教的世界においては、答えは常に神のみぞ知ることになっている。神に自分の息子を殺すように言われたアブラハムは悩む。最後に答えは神によって示されるのだが、その悩みの時間を通じて「アブラハムは壮絶な孤独のうちにありながら、なお主のことばは『絶対的に正しい』という確信だけは揺ぎないものとして維持できた」のである。仏教においては、「あらゆる存在の本質は『空』で、そこに何かの縁が関わり、ある視点を通して判断すれば、善や悪が成立する」。一神教と仏教と、考え方はちょっと違うけど、人間が絶対的な判断を下してはいけない、最終的な解決を求めてはいけない、という智慧は共有しているかもしれない。
なんかでも、実は実は、「滞ったときのつなぎ(笑)」らしいのですが、それがとても本格的な宗教解説なんですね。
たとえば、仏教式死者儀礼の流れや、神道、「日本人は宗教オンチ?!」などなど、この往復書簡の流れとは別に、「お勉強」が出来ます。笑
わたしが「洗脳されてしまうかもしれない」という不安など、どこかへいってしまうくらい、お二人のやりとりが本当に面白くて、「これは本当に宗教本?!」と思うくらい、脱線脱線・・・笑
でも、この本に「答え」がないのは、釈先生が仰っていますが、「浄土真宗ならこんな具合です。」といったニュアンスで展開されていっているからだと思います。押し付けていないのですね、決して。
読んで損は無いとおもうのですが。。。汗