自分の知らない分野について、こんなかたちで本にしてしまうのは、何というか向こう見ずだと思う。
けど、書かれている対話の内容は生ぬるいようで、鋭い。「因果」「執着」についての議論が印象に残る。仏教は、因果ということを説くけど、これは原因があって、結果があるということではない。
<たとえば、親という存在が子を生み出す原因である、ということを考えてみて下さい。親は子の因でありながら、子という果が成立した瞬間に初めて親という概念が成立します。親という「因」と、子という「果」、概念の誕生は同時なんですね。>(釈さん)
なるほど。で、世の中には実際に何が因なのかよく分からないことがたくさんある。そういうときにぼくらは、何が因なのかを突き止めようとする。でも、よく分からない。分からないままでほっとけなくって(=「執着」があって)こじつけることもできるけど、結局は「無明=本質が分からないこと」の中に苦しむ。
ふむ。結局、じゃ、浄土真宗を始めとする仏教っていうのは、何も分からない、ということを教えているのか、ということになる。
その通りみたいだ。
<しかし、仏教の道は、こんな調子で展開していきます。[、、、] 『それじゃ、いつまでたってもすっきりしないじゃん」と思われますか?確かにそうかもしれません。中沢新一氏は、「仏教ほどカタルシスがない宗教はない」と語っています。『あれではない』、『これではない』という繰り返しで、なかなか『これだ!』ということにならないからです。>(釈さん)
カタルシスがないんだね。けど、そういう「分からない」ということに耐え抜く精神を鍛錬してきたからこそ、何千年も歴史を生き抜いてきたのだろう、と思う。世の中分からないことだらけだし。